県内唯一の懸崖造りの建物で、かつ最上三十三観音の第5番の札所。寛文元年(1661)3月、山形城主松平下総主忠弘によって建立。唐松山護国寺と命名して、山形城の鬼門の守護仏としたという。その後建物は元文2年(1737)に再建されたが、戦前から戦後にかけて荒廃が甚だしかったので、昭和51年5月、有志によって見事に改築復元され、現在名所の一つとなっている。
【映像公開】2014年9月16日、永井毅
詳細
あなたへのおすすめ
山形縣護国神社(山形市)
1.12K Views0 Comments0 Likes
昭和9年(1934年)千歳公園内の現在地に遷座した。昭和14年(1939年)の制度改革により内務大臣指定護国神社となり、山形県護国神社と称した。初詣の参拝客は例年山形県内で最も多く、約13万人となっている。 【映像公開】2014年11月...
山形市野球場(山形市)
1.24K Views0 Comments1 Likes
この野球場の老朽化のため、市内落合町の市総合スポーツセンター内に12,000人収容の新市営球場の計画が現在進行中。 【映像公開】2014年11月16日、永井毅
馬見ヶ崎橋(山形市)
1.71K Views0 Comments0 Likes
都市計画道路 四日町日月山線の改良事業の一環で、老朽化の激しかった昭和8年竣工の馬見ヶ崎橋の架け替え工事。 【映像公開】2014年11月14日、永井毅
最近のコメント