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明治9年(1876)に山形県令三島通庸の病院新築の大構想のもとに、建築計画に着手され、明治11年(1878)9月に落成している。県立病院とされ医学校も併置された。
建物の全体の構造は、角面からなる円形の特異な形態で、明治初期における木造下見張りの擬洋風建築の傑作といわれている。その後、昭和41年(1966)に重要文化財に指定、昭和44年(1969)に霞城公園内に移築され、現在、山形市郷土館として文化財保存の活用を図っている。
【映像公開】2014年9月11日、永井毅

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